2014年5月24日土曜日

一番小さな子の世話に追われて

上の子と十分な会話ができない。どうしたら?


一緒にケアする時間をたくさん持ちましょう。



一番小さな子の世話に追われて上の子と十分な会話ができない・・・・この問題には、こどもにとって2つの重要な課題があります。

・主導権争い
・共同体に生きる

自分が下の子より愛される実感を確かめたいと思います。お母さんにしたら、どちらも同じように愛しているとしても、ケアが必要な下の子に時間も労力もかかります。上の子は敗北するしかありません。上の子にしたら、下の子に負けただけでなく、お母さんにも負けたことになります。まともに向かい合って勝てる相手ではないので、お母さんと目に見える形で主導権争いするつもりはありません。。負の感情を抱え込んでしまいます。

そこで仕返しをしようと考えます。場合によれば一番力の弱い下の子をいじめることもします。共同体からはじきだえあれるような行為をする可能性があるわけです。

人間は共同体に属しています。集団への帰属意識は勇気の原点です。それは人間のいちばんの願いです。仲間と共に暮らすことは、楽しみであり、よろこびなのです。

そうすると、上の子にどう向き合うか、答えが見えてきます。「家族」という共同体の一員として、子育てに参加させるのです。子育てに生じる様々な問題を一緒に乗り越えることで、問題を乗り越える習慣を身につけさせるのです。

お母さんのお手伝いすることで、必要とされていることを体感させるのです、できることできないことがあります。危険なことはさせられませんが、「できない」を前提にしないで、「できる」を前提にして、やり遂げるために障害になることを取り除いてあげるようにします。結果ではなく、やり遂げようとするプロセスに関心を持ってあげるようにします。

こどもも大人も同じです。人と人との関係を豊かにすると、ストレスは起こりません。反対に関係がギスギスしたり、失望したりずると人付き合いはいやだと思ってしまいます。そうに思うと悲しくなります。ストレスもたまります。しかし協力し合い、力を合わせ、自分も何かの役に立っているといることを実感する喜びの中で意欲的に多くのことを学べます。
安心感とよろこびの中で、愛するよろこびを知る機会にしてあげてください。 

 
さらに参考事例
  主語相手から自分に変える






2014年5月20日火曜日

人に嫌われたくない

人に嫌われたくない と、びくびくしながら生きてきました。 そのために、 自分というものがあいまいになっている気がします。 

「そんなの努力しかない」とみんなにいわれるたびに、私がいままで頑張ってきたと思っていたものまで否定された気分で、私は何のためにいるのかわかりません。変わりたいです。



2014年2月17日月曜日

人の意見、態度に
一喜一憂する自分を直したい

意識的に俯瞰する力を育むのです。




人の言葉や態度に一喜一憂するのは自然なことです。
人は誰でも自分の存在価値にこだわっているからです。それに自分で判断するより、楽だからです。

 
どのような美人でも、
自分が鏡を見て「私って美人よね」と自問自答しても
その価値を信じることはできません。(自分で価値を見出す力が大事ですが)

他者から「美人ね」って言われて、価値を認識できます。

だから人の言葉や態度に一喜一憂するのは、生きる原動力でもあるわけです。

時間をかけてそれから解放されるように、自分をしっかり創っていくのが人生の楽しみだといえます。

たとえば若いときはいろんな音楽に刺激を受けます。

経験することによって、だんだん自分の好きが絞り込まれて、年を取った時には、聴き込んだ末にひとつになっていた。

そういうことではないでしょうか? 


つまり自分を俯瞰して見れるようになるのです。意識的に俯瞰する力を育むのです。意識すれば育みことは難しくありません。
ところで。。。 
するメリット、するデメリット、
しないメリット、しないデメリット

行動を選択するについて、その4つについて、自覚が薄いまま考えています。

つまり4人の自分がいます。
4人のうち自覚ができているのは、
メリット、デメリットの2人の場合が多いでしょう。

その相反する2人の意見の対立に、意識が混乱するのは4人の自分が意識されていないからです。
実際は、4人の意見交換が行われているにもかかわらず、
2人の声が大きく、2人の声が小さいからです。

人の意見や態度に喜んだり、悲しんだりして、納得しているのは、この4人の内の誰かなのです。

喜んだり、悲しんだりしてしているのは、懸命に、4人の自分の意見交換によって下した、
最終決定を探しているからです。

重要なのは、自分の確信する意見を持つ自分を見つけること。

紙にそれぞれの意見を書いて、
リラックスできるカフェの椅子に腰掛けて
ひとり会議をしましょう。


他者の意見も気になるでしょうが、
あなたの分身たちの報告を、じっくり聴いて、
あなたが責任をもって、選択すればいいのです。


その結果、全力を出して行動をして、
うまくいっても、うまくいかなくても、
あなたの選択したことに、あなたが責任を持てばいい。


責任を持つとは、全力を出して行動するプロセスこそが責任なのです。

人の態度に一喜一憂は、行動に向かう準備段階でのプロセスのひとつです。

一喜一憂がイヤだなと感じたら、
行動したい欲求と必要が高まっているというメッセージです。 

一喜一憂は、あなたが自分に焦点をあわせるプロセスのひとつ。

焦点があったら、シャッターを押すように、行動しましょう。

 
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2014年2月1日土曜日

同じ事をしていても、評価されたり、 されなかったり、どうして違うの?


相手の都合で変わっているだけです。
気にしないで、自分の基準を高めていくようにしましょう。


 「同じ事をしていても、評価されたり、されなかったり、 どうして違うのか不思議です。自分では同じつもりでも違うのかなと不安になったりします。」という、不安感ですね。
評価とは言い換えると「ほめる」ということですね。
ほめる態度には、ほめる人が上から見下ろしている態度が見え隠れします。
 
つまり、ほめる人にとって、有益であれば「よくやった」という意味でほめてくれます。
ほめる人自身に有益であるかどうかが基準になっています。 

  もし、あなたが課題を完璧にやり遂げても、 あなたのためにしかならないことなら、多分、家族以外誰もほめないでしょう。
あなたにしたら完璧にやり遂げて自信満々、きっとほめてくれると期待するでしょうが、そうはなりません。
期待はずれになります。

 でも、完璧でなくても、
特定の誰かの役に立った場合は、ほめてくれます。
つまり、あなたは周囲の評価を気にせずに、自分が自分を認めてあげることをするのが一番大切なのです。

そうしていると、きっと誰かの役に立つ場面に出会います。
そのとき、その人たちは、あなたを評価します。
役に立つことであればあるほど、評価も高くなります。
同じことをしていても、ミスマッチしている場面では評価されないのです。

ダンスを学びたい人の前で、おいしいレシピを披露しても、喜んでくれません。
だけど、料理を学びたい人の前で、レシピを披露すれば評価されます。
でも、それを嫉妬する人は評価しないでしょう。

嫉妬する人の問題ですので、どうにもできませんが、評価する人の意見を聴く人もいるので心配いりません。
 
あなたができることは、他者の評価に一喜一憂せずに、うまくできたと思うときは、自分をほめてあげて、
そうでない場合は、どこがしっくりしなかったのか反省し、改善する。
 

 
自分が持っているものを与える。分け合う。
これが幸福の基本なのです。
自分には何がないのか、それが欲しい。。。。その先に幸福はありません。
自分には人に与えられるものがない。だからもっとも勉強する。もっとも努力する。誰も気にしないような小さなことにこだわって、自分の基準を高めて、クリアしていくことのです。

その先には幸福があるかどうか分かりませんが、すでにいま幸福のまっただ中にいます。

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2014年1月28日火曜日

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのですか?


「アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?」



よく訊かれる質問です。

自分はひどくおどおどしている。自分でもいやで自分が嫌いになる。
自分はひどく変わっている気がする。
自信を持って話せない、行動できない。・・・・・

同じ現象に苦しんでいる人はたくさんいます。
しかし、現象は共通したものではなく様々です。

その一方で、アルコール依存症者の親のもとで育ったこどもの体験を話すと、「自分のことのように聞こえます」と言います。
特に人間関係では、似たような悩みのご相談を数多く受けます。

そしてその苦しみに共感します。ほとんどの人が心理的に共通した体験を持っていて、同じような不安と恐れを持っています。


だからと言って同じ体験をしているわけではありません。

不思議な感じがしますが、それには、いくつかの理由があります。


・親のアルコール依存症が発症したときのこどもの年齢が違う
・両親ともアルコール依存症なのか、片親だけか?
・片親だけの場合、父親か、母親のどちらがアルコール依存症者なのか
・家族の子供の人数と誕生した順番
・配偶者自身(共アルコール依存症)の回復のための努力の度合い
・身近にサポートする人がいるか
・身体的な虐待があるか
・性的虐待があるか
・家族の社会的な地位
・家族の経済力


同じ家族であっても、すべての子供が同じように影響を受けるわけではないので、その反応はバラバラです。

例えば、ある子供はアルコール依存症の状態をはっきりと見て身体的な虐待を体験しているかもしれません。しかし他の子は体験が乏しく記憶にないかも知れません。
すると同じ兄弟でも親のイメージが違うことが起こってきます。

同じことは親にも言えます。親の立場になれば、同じように育てたと思い込んでいますが、しかしそんなことはないのです。よく対面でセラピーをすると「同じように育てた」と機嫌を悪くされるお母さんがいますが、そんなことはありません。


子供たちは状況に適応するために、それぞれに子供独自の方法を見つけ出しているのは珍しいことではありません。兄弟でもある子だけが特別に強い反応を示していることもあります。


しかし個々に違いがある一方で、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは全体に共通して、情緒障害を起こし、自己否定感が強く不信感を持っています。

情緒障害とは、情緒の現れ方が偏っていたり、その起伏を自分の意志でコントロールできない状態が継続してしまうため、団体生活(学校や社会)の支障をきたす状態を言います。