2013年3月27日水曜日

「白か黒か、はっきりしないといやです。 これはおかしいですか」


考えても仕方のないことを考えず、いまこの瞬間に集中、熱中時間を過ごしましょう。


白か黒か、その一方に不安があります。不安の正体は想像であって、現実には起こっていない状態で発生します。
しかし現実は算数のようなわけにはいかないのがほとんどで、「灰色」がほとんどです。

なぜ灰色が多いのかというと、人の気持ちは刻々と変わるからです。 
 「これを必ずやり遂げたい」
「あなたを一生愛します」 
そう思った時には、そう決意したり、発言します。
しかし、その5分後には気持ちが変わっているかも知れません。
「やり遂げられるだろうか」「こんなあなたは好きじゃない」
と思うと、そこにあった気持ちはぐらつきます。
しばらくすると、また気が変わり
「いや、きっとやれる」
「やっぱりあなたが大好き」となります。
こんなふうに揺れ動いている気持ちを白か黒かと決めつけれないのが本当ではないでしょうか?
ある意味、それを知っているから、心変わりがいやで、 白か黒かはっきりしたい欲求も強まるともいえます。
しかし、いくら決意しても、揺れる気持ちは止められません。
それでも、揺れ幅を小さくする方法があります。それは白か黒かではなく、灰色が普通なんだと考えましょう。そして「いまこの瞬間も継続する」ことです。

そうは言っても・・・・ 「白か黒か」はっきりしないと気がすまないという方に、「灰色が普通です。」では解決策にならないと思います。 
しかし、白か黒かの区別をつけようとする習慣は、 どうしてついたのかを知ると気が楽になると思います。
私たちは、自分の感情を左右する影響力を持った相手に対して、 相反する2つの感情を持つものです。特に、より影響力が強い人、より接触の機会が多い人に対してほど、 相反する2つの感情も強く持ちます。 
相反する感情とは、受け入れたい思いと、否定したい思いを持ちます。
その根底には自分を受け入れて欲しい感情が、より強くあるからです。
達成したいという願いが強い重要なことほど気になるもの同じ理屈です。

人は子ども時代に、非力なので、自活する力がなく、その分不安も強いため、 自分をケアしてくれる親や先生、親しい友人などには、 必然的に依存心が高くなります。依存心が強いほど束縛感を持ち、相反する2つの感情も強くなります。
 
たとえば「好きだけど嫌い」「行きたいけれど行きたくない」 というようなことが起こってきます。それは自然なことです。
束縛を受けてしまうので、自分の気持ちと行動のバランスが保てないからです。 
ところが、自分自身を含めて、周りの人に支配する力を持った立場にある人ほど、 それを認めない傾向があります。
私たちは子ども時代に周りから白か黒かの選択を要求される機会を持ちます。
「はっきりしろ」「そんな考えはよくない」と決めつけます。 
そういう理由を考慮すると 「愛情のあるところには必ず憎しみがある」のはとても自然な状態です。  
引き裂かれた感情を持つことについて、 人生を通して葛藤を克服していくものです。
ところが、周囲にも白、黒つけようとする人が沢山います。みんな不安があるからです。
「おまえはおかしい1
「したいの、したくないの?どっちなのか、はっきりしなさい」

と物事を白か黒かのように区別することを、 当たり前のようにしていると混乱と不安が激しくなります。

このように白か黒かの見方を強要するのは支配といえます。無意識であっても身近にいる目上の者が白か黒かの選択を迫ってくるために、 白か黒かの発想を習慣として身につけます。 
知識も経験も情報も乏しい子どもたちは、 生々しい感情を整理できないまま、知識、情報、だけが増え続けますが、 生々しい感情は抑圧したままですので、有意義な経験が伴わないまま 誤った経験を重ねるようになります。
こうして知らず知らずの間にネガティブで現実的でない間違った習慣を身につけます。
人は誰でも不安があります。自分のなかに相反する感情を持っているとしたら、白か黒かではなく、また否定せずに認めてやるようにしましょう。不安になることを肯定的に受け入れることができると楽になれます。楽になるとポジティブになれます。
グレーが自然だと思えるようになると、不安にならない循環が出来るようになり、白か黒かを考えなくなります。

さて、復習です。
白黒つけたかった方が、どこでどうしてグレーが自然だと思えるようになるか、分かりますか?

人は誰でも不安に弱い。不安になるのは、いまこの瞬間に集中せずに、考えても仕方のないことを考えているからなのです。このパターンを逆にしましょう。考えても仕方のないことに時間を使わず、いまできること、いますることに、熱中するのです。
白か黒かを求めるのは、行動を忘れて、考えることに集中してしまうからです。生きるとは行動することです。考えて仕方のないことに時間を使うのは生きている状態からどんどん離れていく状態です。